Deep Sky Memories

横浜の空で撮影した星たちの思い出

イラクの月

9月は天候に恵まれず、僅かな晴れ間も予定が合わず全く天体撮影ができていません。以前ならこういう時期にはお買い物に走りがちだったのですが、火星最接近後は憑き物が落ちたように天文関係の物欲も落ちて、ただ実りのない日々を過ごしています…

何もネタがないなーと思っていたのですが、ふと以前気になっていたネタを思い出しました。今年4月に話題になった自衛隊の「イラク日報」の件です。この「イラク日報」、政治的な問題もさることながら、隊員の日常生活が記された「日誌」の記述が面白いと話題になりました。

そんな中で話題になった日誌の一つが2006年4月5日の報告書に掲載された「バスラ日誌」です。

https://rna.sakura.ne.jp/share/Basrah-diary-20060405.jpg

飾らぬ文体で淡々とイラクの自然を綴った文章が味わい深く… と思うといきなりロケット弾が飛んでくる急展開がウケたようですが、天文ファンとして気になるのは前半で綴られた花鳥風月(蚊鳥風月?)の「月」の部分。

 イラクの月は、不思議である。日本でも月が欠けたり満ちたりするのは当たり前だが、イラクの三日月は、真下に弧を描いて輝く上弦の月である。日本の上弦の月は右半分が輝くのだが。

イラクでも南中時の三日月なら右側が輝くはずですし、日本でも沈む前の三日月なら下側が輝くわけで、これはどういうことなのだろう、と気になっていました。こういうのはシミュレーションしてみるに限る、ということで Sterallium で当時のバスラの月を再現してみることにしました。

日誌が書かれた2006年4月5日の月齢は7.5で上弦の月ですが、日誌には「三日月」と書かれています。天文マニアでない一般人が三日月というと月齢2の月ではなく、もう少し太った月でしょうから、隊員が見た月は月齢3.5の4月1日〜月齢5.6の4月3日頃の月でしょうか?

2006年4月1日のバスラでの日没時(日の出日の入り計算 - 高精度計算サイト によると現地時刻の19:07:36) の月を見上げるとこんな風に見えます。

https://rna.sakura.ne.jp/share/stellarium-moon-20060401-Basrah.jpg

確かに月が横倒しになって下側が輝いています。しかし日本で見たらどうでしょう?上の約6時間前、横浜の日没時の月がこれです。

https://rna.sakura.ne.jp/share/stellarium-moon-20060401-Yokohama.jpg

バスラの月ほどではないですが、それでもほとんど横倒しですよね。

最初は低緯度地方故に高く昇った月が西に傾いて横倒しになっている時間が長くなって横倒しの月の印象が強いのかなと思ったのですが、バスラの緯度は北緯30.5度と、東京と5度しか違いがありません。日本で言うと種子島あたりと同じです。

日本とイラクの違いもありますが、たまたま日誌が書かれた時期が月が高く昇る時期に当たっていたという要因も大きいのではないでしょうか?月の南中高度は同じ観測地から見ても時期によって変わります。月の赤緯が日々変わるからです。北半球では赤緯が高くなるほど南中高度も高くなります。

4月1日夕方(バスラの現地時間)の月は赤緯22.7度、日誌の前日の4月4日には28.5度まで北上しています。この日の月はほぼ天頂をかすめる高度88度まで昇っていました。月の赤緯がここまで高くなるのは実は珍しいことで、18.6年に1度しかありません。

理由は月軌道面が18.6年周期で回転しているためです。月軌道面は黄道面に対して傾いていますが、これが黄道面上で回転しています。黄道面は赤道面に対して23.4度傾いていますが、月軌道面は黄道面に対して5.1度傾いています。このため月軌道面の回転により18.6年で月軌道面の赤道面からの角度(= 赤緯)が±5.1度変動するわけです。

このあたり、言葉で書くとややこしいのですが、詳しくは国立天文台暦計算室の「暦Wiki/月の公転運動/最北と最南」の図を見ていただけると直観的に理解できるかと思います。

さて、「バスラ日誌」が書かれた2006年はちょうど月軌道面の傾きが黄道面の傾きに足されて月軌道面の赤道面からの角度が最大になる年、つまり月の赤緯の変動が最大になる年でした(Major Lunar Standstill)。そして日誌の前日4月4日には月が最北(赤緯最大)を迎えていました。

この時期の月は特別に高く昇り、長い時間をかけて横倒しになりながら沈んでいたのです。そのため、この時期には横倒しに傾いた月が西の空高く浮かぶのを目にする機会が多く、「真下に弧を描いて輝く」月が印象に残ったのではないでしょうか?

そういうわけで「バスラ日誌」の月が「真下に弧を描いて輝く」のは、低緯度地方のイラクならではというのが半分、18.6年に一度の月が高く昇る時期だったからというのが半分、というのが真相だと思われます。