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お詫び: 「産総研の開発した全方向形標準LEDのスペクトルがエグい」の件について

8月30日に発表された産業技術総合研究所(産総研)のプレスリリース「産総研:LEDを用いた全方向に光を放射する新たな標準光源を開発」に対する僕の Twitter でのツイートは誤解に基づくもので、天文ファンに対して無用な不安を煽る不適切なものでした。このエントリにてお詫びして訂正させていただきます。

産総研のプレスリリースは「全方向形標準LED」の開発に関するものです。プレスリリース中には新開発のLEDのスペクトルが図示されており、それを見て僕は以下のようにツイートしました。

このツイートは天文ファンにはあまり知られていない僕のアカウントとしては結構な数のいいね・RTがあり、天文ファンの方から「ヤバい」「何で撮ればいいんだ…」等のコメントもいただきました。

LED照明が光害源として厄介なのは天体撮影をする天文ファンには周知のことですが、LED照明で使われる一般的な白色LEDは、波長470nm付近の大きなピークと570nm付近の小さめのピーク(強度は大きなピークの40%程度)を持つスペクトルで、多くの天体(散光星雲や惑星状星雲)の光の主成分であるいくつかの輝線スペクトルの波長に対する影響は比較的軽微でした。

近年では、白色LEDのスペクトルのピーク付近をカットしたり、あるいは天体の輝線スペクトル付近だけを通すような光害カットフィルターが普及して、都市近郊でも鑑賞に耐えるレベルの天体写真が比較的容易に撮れるようになりました。最近の光害カットフィルターの特性については HIROPON さんの以下の記事を参照してください。

また、系外銀河のような連続スペクトルの天体については、近赤外に高い感度を持つカメラで赤または赤外フィルター(IRパスフィルター)を使って撮ることで光害をカットしてSN比を上げる技法も最近流行しています。これについても HIROPON さんがまとめてくださっています。

このようなフィルターワークで光害の影響を回避する撮影技法は、天体の発する光のスペクトルと光害源となる光源の発するスペクトルに差があることで成り立つ技法です。

しかし産総研日亜化学工業が開発した今回のLEDのスペクトルは、2つ目のピークが天文ファンが好んでターゲットとする赤い星雲の輝線スペクトル(波長656nmのHα線)にぴったりと重なっており、しかもそのピークは従来のLEDよりも強め(大きなピークの60%強)で、近赤外方向にも結構な強度が残るものでした。

日頃光害カットフィルターのスペクトル特性グラフとにらめっこしているような天文ファンなら背筋が寒くなるようなスペクトルです。リリース中には「今回開発した全方向形標準LEDの技術は、これからの照明産業を支えるものと期待できる」との文言もあり、こんなスペクトルのLEDが街灯等に利用されることになったら大変だ、という思いで上のようにつぶやきました。

産総研に問い合わせてみては?との声もあり、早速産総研に上のような事情を説明し、今回のLEDが一般のLED照明の基準になることはあるのか、また660nm付近のピークにはどういう意図があるのか、という点を問い合わせたところ、概ね以下のような回答がありました。

  • 全方向形標準LEDは照明用光源のスペクトルの手本となるものではない
  • このLEDは市販のLED電球等の明るさを測定するために使用するものである
  • よって天体撮影への影響については心配には及ばない
  • 660nm付近のピークは計測器がこの波長域で感度が落ちるため意図的に上げている

要するに全ては僕の誤解だったのです… 以下その後勉強した内容を交えて順番に説明します。

まず、電球等の明るさは通常ルーメン(lm)という単位で表示しますが、これは電球からあらゆる方向に放出される全ての光の総量 = 「全光束」を表すものです。*1

LED電球等を作るメーカーでは製品の明るさ = 全光束を測定する必要がありますが、これが厄介です。センサーで測定できる明るさはセンサーの面積に当たった光の明るさだけで、全光束を直接には測定できないからです。

愚直にやろうとするとセンサーを少しずつずらして電球を中心とした球面を覆い尽くすように測定を繰り返し、測定値の総和を求めることになります。この測定方法を「配光測定方式」といいます。天体撮影にたとえると「望遠鏡の直焦点で全天球をモザイク撮影するようなもの」と言えば大変さが伝わるでしょうか。

配光測定方式は時間がかかる上、大掛かりな設備が必要ですし、測定中に電球の点灯状態を安定に保つ必要がある等、測定技術的にハードルが高いため、一般の電球等の測定には使われません。ではどうするかというと「積分」という装置を使って2回測定するだけで全光束を測定できる「積分球方式」という方法があり、この方法か、あるいはその変法で測定するのが一般的です。

積分球というのは内側を白く塗った中空の球で、球の中心に光源を設置します。センサーは球面の内側に一つ取り付けてあり、球の内壁の一箇所の照度を測定する形になります。なぜ一箇所でよいかというと、積分球の内壁の明るさは理論上均等になり、その値は全光束に比例するからです。*2

この積分球で測定対象となる電球等を測定し、同じ積分球で全光束があらかじめわかっている光源 = 「標準光源」も測定することで、全光束の絶対値を計算することができます。たとえば電球の測定値が標準光源(全光束90ルーメン)の測定値の倍なら、電球の全光束は標準光源の全光束の倍 = 180ルーメン であるとわかるわけです。これを「相対比較測定」といいます。

詳しくは以下のサイトを参照してください。

ここまで書けばお分かりかと思いますが、今回産総研が発表した「全方向形標準LED」というのはこの「標準光源」として使用するためのLED光源なのです。標準光源は対象の光源と明るさの比を計算する性質上、可視光の全波長域で十分な強度が必要です。

なので、「全方向形標準LED」では「可視光のほぼすべての波長範囲をカバー」しつつ、通常使用されるセンサーでは感度が低い赤色の波長域で強度が上がる形のスペクトルになっているのです。一般の照明用のLEDがこのようなスペクトルである必然性はありません。

また、プレスリリースにある「今回開発した全方向形標準LEDの技術は、これからの照明産業を支えるものと期待できる」というのはあくまで標準LEDのために開発した配光方式についての記述で、スペクトルのことではありません。

では、今回開発されたLEDと同様のスペクトルを持つLEDが照明用に使われる可能性はあるのでしょうか?これについては twitter で、やなぎさん(@photo_chem )からコメントがあり、赤外側に広がるようなスペクトルのLEDは一般的な照明用としてはエネルギー的にも無駄になるので使われないだろう、とのことでした。

確かに人間のための照明ですから可視光の波長域を越えて光っていても電力の無駄ですよね。もっとも監視カメラやドラレコ等の赤外域に感度のあるカメラのために赤外域でも光る街灯のニーズが出てきたら… とも思いますが、今のところは杞憂でしょうか。

なお、やなぎさんには僕の標準光源についての誤解についても産総研から回答が来る前に指摘して頂いて、おかげで早めに訂正ツイートをすることができました。どうもありがとうございます。

というわけで、全ては僕の誤解でした。今後も新たに開発される照明用のLEDのスペクトルについては注視していく必要はあると思いますが、今回の「全方向形標準LED」に関しては天文ファンが心配する必要は全くないものでした。

誤解を招く大袈裟なツイートをしてしまい申し訳ありませんでした。産総研の関係者の皆様と心配された天文ファンの皆様にお詫びします。

最後に僕の不躾な問い合わせに対しても誠実に回答してくださった産総研の担当者の方*3 に感謝します。

*1:参考: 明るさ?全光束とは!あかりNETの豆知識

*2:理論については「2.積分球の構造と原理 積分半球を用いた光源の全光束測定 |大塚電子」を参照。

*3:当初プレスリリースに名前とメールアドレスが掲載されていたのですが、今見ると問い合わせフォームに置き換えられていますので名前は伏せます。というか、お手数かけさせてしまって申し訳ありません…